もともと最悪の場合を想像するのが得意なわたし。
内視鏡検査の前もそうだった。
今回は、老猫の体調が悪く、まだ生きて目の前に
いるのに、亡くなった後を想像してしまうこと。
なんかもう、痩せてどんどん元気が無くなっていく
のを見るのに耐えられず、いっそ安楽死
とか、心中してしまいたいなどと極端な
考えが頭をよぎる。
もちろん、「いや待て、そこまで考えるのはPMSのせいだ、落ち着け」
という理性も残っているけれど。
たかだかペットのことで、そこまで思いつめるなんて、
と鼻で笑う側にわたしもなりたかった。
いっそ猫なんて飼わなきゃよかった、と思うのは
(猫を亡くしたあと)いつものことだ。
子供の頃、いつか親の方が先にいなくなる
という考えに至って怖くなったことを覚えている。
成長した今は、悲しいは悲しいけど、
実際には葬儀や遺産(マイナスの場合も)や後片付け諸々
で、純粋に悲しんでいる余裕はないのではないか と思う。
そういった効果も含んでの煩わしい手続き、なんだろう。
ということは、ペットが亡くなった時の方が、
諸藩の事務手続きがない分、純粋に哀しみだけが残る気がする。
あとは、人に話しても共感されにくいし、人によっては
上記の「たかがペットで?」と思われてしまいそう。
本当は夏目漱石のように、猫の死亡通知を出して、
大々的に悼みたい。