何て息苦しい小説だろう
ある日、夫が風呂に入らなくなったことに気づいた衣津美。夫は水が臭くて体につくと痒くなると言い、入浴を拒み続ける。彼女はペットボトルの水で体をすすぐように命じるが、そのうち夫は雨が降ると外に出て濡れて帰ってくるように
突然夫が風呂に入らず、石鹸やシャンプーを使うことも拒み始めた。
職場からは仕事を続けさせられないという連絡が来る。
なぜか配偶者である自分ではなく夫の母に。
読んでいる間中ずっとハラハラして、続きが気になって
仕方がなかった。
同時に、身近な人が突然風呂に入らなくなったら、
自分はどうするだろうかと考えた。
とりあえず精神科を受診させるだろうか。
けれども受診する意思のない成人を無理やり連れて行くのは
とても大変だろう。
私は高校生の時、突然電車に乗れなくなり、
なんで今まで当たり前の様にできていたことができないのか。
自分以外の人は、小さなこどもでもできるのに。
自分は普通ではないのだ、と自分を責めていた。
普通って、多くの人が当たり前の様にしていること?
それが出来ない自分は駄目なんだと強く思った
夫も内心では自分を責めていたのだろうか。
仕事を続けられないこともわかって、それでも
お風呂に入れなかったのだろう
平安時代の貴族は、香を焚きしめて体の匂いを
ごまかしていた。
でも香が手に入らない庶民は臭いまま生活していたのだと思う
それが多数派なら何も問題はないのだ。
この小説を読むと、自分がとても息苦しい世界に
生きていることに気づかされる。
改めて
同時に私は純文学(と思われる物)に対してアレルギーを感じていたのだが、
こんなにスリリングで面白い作品が芥川賞候補なんだ、
文学も面白いし読めるじゃないかと気付いた。
(ホラーとサスペンスばかり読むので苦手意識があり、
あえて芥川賞ノミネート作を読まないようにしていた)
子供のころ気まぐれに拾って大して世話をせずに
放置したままの魚の描写とか、転職した田舎の
市役所での根も葉もない噂とか、
義母との表面だけ取り繕ったヒリヒリするやり取りなど、
非常に気持ちを揺さぶられる部分が多い作品だった。
夫が増水した川へ行ってしまったのは、
緩やかな自死だったのだと思った。
お風呂に入らないという行為もセルフネグレクト
の一種なのだろうと思った。
